自然の景色は本人が思うほど他人は感動しない。
理由は簡単で、その場で本人が見た雄大さや臨場感、五感が感じたすべてが写真を見ている人にはないからだ。
本当に風景の写真は難しい。
自分が最終的にどんな写真を撮るのかをイメージして撮る必要があると言われている。
撮ったら何か写っていたでは人にはなかなかアピールしにくい。
ブレッソンは自分の撮る写真を考えて撮っているはずだ。
彼の写真には「社会的にアピールするもの」、つまりメッセージ性がある。
何が写るか分からない写真は写真とは言えるだろか。
たとえばこの通りにどんな人が通ったら素敵だろうかと考える。
そしてそんな人が通るまで待ってみよう。
作例1
とある写真家のように砂丘に傘をさした和服の女性が立っていると
妙な違和感がある。
作為的な実存主義的な違和感だ。
たぶんそれを狙っているのだろう。
私は個人的にうめかよが好きだ。
写真は結局人間がおもしろいとおもしろくなると教えているようだから。
他人を撮ってみるとわかるがあんなおもしろい顔は撮れない。
あんな顔を作り出す話術やコミニュケーションの能力に感心する。
作例2
いつも行っている住吉の美容室のスタッフを撮らせてもらった。
右端の女の子はなんとオリンパスOM1の使い手だ。